【昭和の怪奇事件】築地市場で発生した迷宮入り事件「築地八宝亭一家殺人事件」

築地の片隅で発生した惨殺事件 事件は1951年2月22日、東京都中央区築地の路地にある中華料理店「八宝亭」にて発生した。 八宝亭は東京の築地警察署から数十メートルしか離れていない料理店で、警察署の職員もよく利用していたという。事件はそんな馴染みの料理店で発生した。 2月22日の朝、八宝亭の住み込み従業員、山口常雄が真っ青な顔で警察署へ駆け込んだ。自分の主人一家が何者かに殺害されたというのだ。 すぐに署の職員が八宝亭に駆け込むと、主人の和泉三郎とその妻、長…

築地の片隅で発生した惨殺事件 事件は1951年2月22日、東京都中央区築地の路地にある中華料理店「八宝亭」にて発生した。 八宝亭は東京の築地警察署から数十メートルしか離れていない料理店で、警察署の職員もよく利用していたという。事件はそんな馴染みの料理店で発生した。 図1 2月22日の朝、八宝亭の住み込み従業員、山口常雄が真っ青な顔で警察署へ駆け込んだ。自分の主人一家が何者かに殺害されたというのだ。 すぐに署の職員が八宝亭に駆け込むと、主人の和泉三郎とその妻、長男および長女の計4人が何者かに頭をナタで打ち砕かれて死んでいたのだ。 犯行現場からは預金通帳などが盗まれており、警察署は強盗目的の犯行として捜査を進めた。 現場検証の結果、容疑者はすぐに洗い出された。事件の前日、八宝亭はひとりの女性店員を雇っていたのだ。名は太田成子といい、殺人事件が発生した22日朝から姿が見えないという。 さらに、太田はこの日の朝、主人の和泉三郎名義の通帳を手に預金を引き落とそうとしたことが警察の聞き込みでわかり、捜査本部は太田成子を殺人の容疑で全国指名手配した。 また、同時に山口は事件が発生した当日、太田らしき女性が色黒のガッチリした大男と何やらヒソヒソ話をしているのを目撃しており、警察はこの謎の大男が太田成子の共犯者と見て、同時に行方を追うことになった。 事件の唯一の目撃者 さて、事件の第一発見者となった山口常雄だが、事件から数日の間、「主人を殺された悲劇の男」「事件の唯一の目撃者」として、さまざまな新聞や雑誌からインタビューを受ける事になる。 山口の話しぶりはかなりテキパキとしており、また警察の捜査に対しても嫌がる素振りなく協力し、新聞記者の質問にも真摯に答えていた。 しかし、捜査本部の中には、そんな山口の行動に疑惑を抱く者もいたという。 なぜなら、お世話になった主人や女将さんが殺されているにも関わらず、山口の口ぶりは終始にこやかであり、まるで自分が有名人か、芸能人かのように新聞記者たちに振舞っていたからだ。 事実、八宝亭は築地でも有名な店だったため、淡島千景や高峰三枝子といった当時の美人女優が慰問に訪れ山口を励ましていたほか、事件から2日後の2月24日の読売新聞には、屈託のない笑顔で記者達の質問に答える山口の写真が掲載されている。 図2 図3 この時は「芸能人に会えて、ただ興奮しているだけだろう」と、捜査本部で山口に疑いをかけるものは少なかったが、事件から17日が経過した3月10日、事件はとんでもない結末を迎えることになる。 謎の女・太田成子の正体 図4 3月10日、全国指名手配された太田成子の身元が、千代田区永田町の建設現場の飯場で確保されたのだ。捕まった太田は抵抗せず署へと連行されたのだが、その事情聴取の際、彼女は驚くべき証言を行った。なんと自分の名前は「太田成子」ではなく、売春婦としてのビジネスネームだといいい、今回の事件の真犯人は、他ならぬ「山口常雄である」と証言したのだ。 太田成子こと元売春婦である西田よし子(仮名)は、以下のように供述している。 伊豆で産まれ育ったよし子は洋裁学校へ通うため上京した。運良く都内のホテルに採用されたが、安月給であるため学費が稼げず、夜は売春婦として、夜の街頭に立っていた。 その中でよし子は山口に出会い、山口に洋裁学校の話をしたところ、「今うちの店(八宝亭)で女性店員を探している。給料もいいし君ならすぐ採用されるよ」と、よし子を八宝亭で働くよう斡旋したという。 そして、2月21日によし子は店主と面接をし、無事に八宝亭へ採用された。 面接当日から、よし子は住み込みの従業員として働きはじめたのだが、その夜中、店主の寝ている寝室から大きな音したことから目を覚まし、寝室を覗いたところ、寝室から山口が飛び出してきて、よし子にこう伝えたという。 「おい。よく聞け。今日の朝の9時に信用金庫で14万円を下ろして、新宿で待っていろ。このことは誰にもしゃべるな」と、現金1000円および通帳、印鑑を手渡した。 よし子はこの通帳は店主から奪ったものだと察したが、あまりの山口の剣幕に何も言えず1000円欲しさもあり、言うことを聞いたのだという(なお、通帳は銀行で引き落とすことができなかったため、よし子本人が身元がバレるのを恐れ証拠隠滅している)。 迷宮入りとなった事件 図5 よし子の話は辻褄が合っており、矛盾点も少ないため築地署は山口を重要参考人として逮捕した。 山口本人は当然、「彼女の話はデタラメだ!」犯行を否認。取り調べは翌日以降も行われることから、3月10日、山口は留置所にて一夜を明かすことになったのだが、翌3月11日朝5時半頃、山口は青酸カリを飲んだうえに舌を噛み切り自殺してしまった。奇しくも山口が自殺した時刻は八宝亭の事件が発生した時刻とほぼ同じだった。 最重要参考人である山口が死んだことで、「築地八宝亭一家殺人事件」は完全に迷宮入りとなり、事件の真相は、ついぞわからず終いとなってしまった。 なお、本事件は山口が死んだ後も何度か後追い記事が掲載されている。内容は参考人を死なせてしまった築地署の責任を追及する記事のほか、山口と関係のあったとされる恋人や、行きつけのバーの店員などのインタビューが掲載されるなど、週刊誌さながらのゴシップ記事の連発で、当時の大手新聞および世間が「築地八宝亭一家殺人事件」に大きな関心を寄せていたことがわかる。 図6 現在、築地八宝亭の跡地は全く別の飲食店が立ち並ぶ路地になっており、60年前の本事件を直接知る人は少なくなっている。築地市場が豊洲へ移転した今、この地で発生した、この迷宮入りの事件の記憶は、平成時代と終焉とともに忘れ去られていくであろう。 参照:読売新聞縮刷版、20世紀にっぽん殺人事件(社会思想社) 文:穂積昭雪(昭和ロマンライター / 山口敏太郎タートルカンパニー / Atlas編集部) 【Atlas関連リンク】 【東京タワー都市伝説】陰謀、徳川家の呪い、トランスフォーマー、商売繁盛https://mnsatlas.com/?p=9325 #kako_link a {color:#0000ff;} #out_link a { color:#0000ff;}

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